私の履歴書
Xで「私が退職した本当の理由」というタグが流行っているそうです。
私は現職も含めて今まで会社は5社勤めてきました。
3社が出版関係、残り2社が日本語学校です。
・1社目 2000年代半ば
出版社のアルバイトで、学習参考書を作っていました。
時給はよかったのですが、2000年代なのに「結婚したら女性は辞める」という会社でした。保険や年金がないこと、大学全入時代が来ると言われていた時代で、そのうち大学入試なんて必要なくなるかもと言われていました。
会社と将来性と働き方に対して不安を感じたので辞めました。
・2社目 2000年代後半
出版社の契約社員。
企画や編集を一切やったことがなかったのに、即戦力を求められていました。いきなり企画を出せと言われて、出せないと企画会議のたびに専務から、「バカ」とか「頭がおかしい」とか暴言を吐かれ、会社でも無視されるようになりました。
企画が出せなくて契約を更新してもらえなくて、辞めることになりました。
・3社目 2010年代前半
雑誌、広報誌を作る編集プロダクション。
9時から5時まで会社にいないといけないのに業務委託で、実質社員扱いでした。
社長と、常駐フリーだった副編集長が気に入らない人を辞めさせてきた会社で、自分がターゲットになりました。 ある日会議で私の態度が悪いと言われて、そこから言い合いになっていきなり「明日からくるな」と言われて辞めさせられました。
フリーランス扱いだから雇用保険も入っておらず、仕事がなくなったら即収入もなくなる状況でした。
あまりにも理不尽なので労基に電話しましたが、そういうのを取りしまることはできないと言われました。
これからこの会社で勤める人のためにも、こういうことを繰り返してはいけないと思い、フリーランスで入れる組合に入って団交してもらいました。
少しお金をもらいましたが、その額も本当に微々たるもので、ただ働きしたり休日出勤した残業代には全く見合わないものでした。
・4社目 2010年代後半から2020年代前半
2017年に日本語教師の資格を取って、非常勤でしたが会社勤めをすることになりました。グループ企業の日本語教育部門でした。これまで個人や家族経営の中小企業しか勤めたことがなかったので、大企業は初めてでした。気分で人をいじめるような人はおらず、ちゃんとした人ばかりで、コンプライアンスがきちんとしていて、すごく働きやすかったです。
普通は非常勤で有給がつくところは珍しく、行事や研修にも時給がついたので、条件はかなりよかった学校でした。
ただ、やはりコロナ時の対応には今でも疑問を持っています。
コロナ禍の対応で、非常勤はただの使い捨て要員なんだなというのが嫌というほどわかり、その扱いに我慢できなくなったのでやめることにしました。
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昨今氷河期世代の職歴が断続的だと話題になっています。
私はずっと本の仕事に憧れがありましたが、そもそも募集が少なかったのでチャレンジすらさせてもらえませんでした。またたまに求人があっても薄給で倍率が高く、都会で一人暮らしできるほどの収入が確保できる自信がなくて、ネット記事のライター募集に応募したり、アートイベントのボランティアをやってみたり、仕事以外で書く場を探そうといろいろあがいていました。
せっかく奮起して東京に転職できても、実力がなくてパワハラにあって1年で辞めさせられました。
だんだん求人がふえ、世の中の風潮もパワハラを取り締まるようになるにつれ、自分の経験はなんだったんだろうとだんだんモヤモヤを感じるようになりました。また、世の中がよくなってよかったはずなのに、よくなったことに対してそんなふうに思う自分のことを嫌になったりもしました。
もし今の自分が過去の自分に対してアドバイスするなら、もっと視野を広げて、自分に合った働きやすい会社に勤めて、安定した給料をもらいながら、ネットや同人誌で好きなことを書いて、もっとのびのびやればいいのに、と言うでしょう。
でも、当時の自分は、受けてきた教育の影響もあって苦労しないとダメだとか、プロにならないと意味がないと思いこんでいました。わざわざ条件の悪い会社にしがみついて、自分から辛い目に遭う必要なんてなかったのに・・・。
みなさんの履歴書はどんな感じですか?よかったらお聞かせください。
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それではまたお会いしましょう。