修行
たまに小説を書いてみようと思って書いてみる。保坂和志が考えるために書くって書いてあったから私もその時考えたいことで書いてみる。私は書けてスッキリして満足だけど、どんな出来かわからないので賞に出してみるがことごとく落ちる。この間も一次通過もせずに2つ落ちた。
だからといって悲しくないわけじゃないけど、悔しくもない。前ならムキになって獲るまでがんばったり審査員に見る目がないとか文句を言ったり受賞作品のあらさがしをしたかもだけど、今は自分の身の程を知って、獲る気で来てる人に叶わないのはそりゃそうだろって感じで納得するだけ。そして、世の小説家はすごいなと尊敬の念を新たにする。
自分が小説家やものを書く仕事に憧れてたのは二十年前だけど、そのときは1枚も書けなかった。自意識過剰すぎて表現したいという気持ちを持ってることすら恥ずかしくて、その気持ちを認められなくて、持て余していた。
人のことや情報なら書けるかもと思ってライターとか編集の方に行ったけど、二十年かけてやっと創作してみたい気持ちを認めて恥ずかしいことじゃないと受け入れられるようになった。客観的には全然ダメな作品だが、そのような自分からすれば一応完成させられるまでになったのだからだいぶ進歩だ。
私にとっての小説は、セルフカウンセリングみたいなところがある。小説はそんなもんじゃないって怒られそうだけど……。他人が読んで面白いかはわからないけど私は書いてスッキリして次に行ける。賞の下読みの人しか読まないけど。自分以外の誰か読んでくれたことで、その気持は昇華できる。
まだ私は、他人を楽しませるより、自分を分かってが強い。ライターとか編集のときはそんなの全然なかったのに。本を出してからそんな思いが強くなった。でもそれじゃ仕事になんない。けどそれで仕事になってる人もいて、考えだしたら自分の何がダメなんだろうとかその人たちと何が違うんだろうって無限に考えるから比べない。とりあえず私は自分のことが書きたいから書く、それでおしまい。
その点日本語教師は全然そういうこと考えなくていいから楽だ。学習者が分かるように教えないと授業になんない。わかんなきゃ授業を工夫するだけ。
書くこともいつかそういうふうに向き合えるといいけど。
先は長い。