穴があったら入りたい
学生時代かライターになってからか、いつからか自分が人に面白いと思われることをしないといけないような気持ちがずっとある。そういうことができないと自分をつまらない人間だと思ってしまい、その自分のつまらなさに耐えられなくてイライラするということを繰り返している。
人からどう見られるか、人が何をしているかを考えなければ生活はそれなりに楽しく、満足していられる。それなのに、人からどう見られるかという視点が入ってきたとたんに自分はつまらないのでは? という気持ちになる。そして、強迫観念のように人から見ておもしろい生活をしなければ、例えば台湾らしいものを食べるとか、面白い出会いや感動的なエピソードを披露するだとか。そういうものを人に見せられないと、自分には存在価値がないような気がしてしまう。
その一方で自分の生活のなかに自分なりに面白いと思い、人にも面白いと思われそうな出来事が皆無なわけではないが、それをわざわざ切り取って人に見せることが、なんとなくわざとらしく、人や台湾という場所をだしに人生を演出しているように思ってしまうこともある。そういうエピソードをそれらしく加工し、人に受けるように描くことになんの意味があるんだろう、自分は人に見せるために人生を送っているんだろうか、じゃあコーティングする前の面白がられないわたしの生活には価値がないのだろうか、と冷めた目で分析してしまう自分もいる。
そういうことを夫に言うと、「それってちやほやされたいってこと?」と聞かれる。そうかもしれない。「でも、あなたは友達とか家族に十分ちやほやされてると思うよ」とも言われる。
たしかにそうだった。
どうして忘れていたんだろう。
あたたかく送り出してくれた職場や習い事の仲間や友達、不安を受け止め励ましてくれる家族、引っ越し前後の数か月でわたしはいろんな人に愛されていると実感できた。
今、お金を稼いでないし、仕事もしていない。ビザもまだ出ないから携帯電話も作れなくて、言語もへたくそで人の助けがないと生きられない状況にいる。
自分が人に与えられるものがない。
助けてもらうのは別に悪いことじゃないのに恩や親切を一方的に受けていると、少しずつ辛い気持ちになってくる。面白が提供できないわたしにその恩を受ける資格はあるのだろうか、と心配になってくる。いつまでもこのちやほやが続くはずがないのに、何か見返りを返さないと見放されるかもしれないと不安になる。
だから、本当は自分は力があるんです、人の役に立てるんです、社会で活躍できます、有用な人間ですという証拠を集めたくなる。たぶん面白はその証拠のひとつなんだろう。
わたしはずっとそういう、面白くないとだめと感じる圧を受けて生きていた。そして、一方的にもらう立場になって自分の存在意義を感じられない苦しさや不安からやっとそのことに気づいた。
でも、困っていたら人は助けてくれる。
当たり前なんだけど、そのことにとても驚く。
困っている人に手を差し伸べるのは、見返りが欲しいからじゃなくてその人が困っているからだ。感謝されたいとか、その人が役に立つからとか、その人が面白いからとか、そういうことじゃなくてただ困っている人がいるから手を差し伸べる。
そういう当たり前のことをずっと忘れてしまっていた。
自分はずっと困らないように準備して困っていませんという顔をしていたし、困っている人がいても寄りかかられるかもと勝手に先を想像して手を出すのをためらってしまっていた。今まであんまりにも、手を差し伸べることからも、差し伸べてもらうことからも距離を取ってきたのではないか。
いくら準備したって予想外のことが起こって、どうしても誰かを頼らないといけないときがある。
ときどきわからないとあからさまに無視されたり嫌な顔されることもあるけど、それにいちいち腹を立てたり、悲しんだりしてもしょうがない。だってできないんだから。
自分は今、そういう面白の提供のずっと前の地点にいる。
まるで子どもに戻ったようだ。
ひとつだけ違うのは、子どものころはただかわいいとか無力な人間だからあれこれ手を焼いてもらえたし、相手が勝手にわたしに面白を見いだしてくれた。
でも今わたしはもう大人なので、相手が私によっぽどの思い入れでもないかぎり、面白を見いだしてもらえない。
それでも、生きていかなければならない。
人から勝手に面白を見いだされる時はとっくに過ぎたし、自ら面白を提供していくのに乗っていくには余計なことを考えすぎている。面白が提供できなくても生きていかないといけない。
前みたいに、人の助けを借りないと生きていられないなら自分に存在意義がないと思っていたとしたら、生きていられない。
だから私に必要なのは、面白と無縁でも誰かの助けを借りることを重荷に思わないこと。
人の厚意を受け入れて感謝をすること。
つまり、謙虚にならないといけないということだ。
ということは、今までは面白かったら、能力があれば、人の役に立っていれば、そういうふうにしなくていいと思っていたんだ、私は。
ほんとうに、今までなんて傲慢に生きていたんだろう。
とても恥ずかしい。
