自分なりの連帯
毎週土曜日3時から、京都市役所前でイスラエルのガザ攻撃に反対するデモが行われていると知ったのは、岡真理の講演でだった。ガザへの攻撃が始まり、岡真理の講演で、いかにひどいことが行われてきたかを知った。支援やデモの情報を追っていたが、なかなか参加する機会を得られなかったが、4/27に京都に行く用事があり、やっと参加することができた。
京都市役所があるのは、三条通と烏丸通りが交差する西北の角。市役所の前は広場になっていて、3時を少し過ぎたばかりに着くと、緑と白と赤と黒の何旗ものパレスチナの旗が見えた。男性が前に立って誰かの文章を読み上げているところだった。『思想』の5月号に掲載された「ガザは甦る」という岡真理の文章だ。
やがて、スピーチは別の人に変わった。京都大学のアジアアフリカ研究所に留学しているインドネシアの学生だった。イスラエルの大学から人を呼んで研究会を開くという催しに対して、抗議の声をあげたことが語られる。
どうして植民地主義の歴史を研究するこの研究所で、入植者側の言葉を聞かないといけないのか、この反帝国主義、反権威主義の学者を多く輩出した大学で抗議の声を上げる自分は、京都大学の教育が成功したという証だ、と力強く言う。
こんなにまっすぐに、おかしいと思ったことにおかしいと言えることに、新鮮な印象を受ける。ひるがえって、自分、いつだってしょうがないと誰にも頼まれていないのに勝手に理由を作っては、何もしてこなかった。
最後はパレスチナから来た家族のスピーチだった。女性が英語で話し、男性が日本語でそれを訳していく。私はこれまでパレスチナから来た人を目の前にしたことがなかった。だからどこかでパレスチナのことも遠い世界の出来事だと思っていた。しかし、このとき、この目の前にいる人の家族や友達がパレスチナにいるかもしないと思ったとき、自分とパレスチナが無関係ではないと感じられた。
すべての人のスピーチが終わると、隊列はやがて路上に出てアピールを始めた。河原町通を南に行けば四条通り、そこから東に行けば祇園と、京都でもいちばん人が集まる繁華街のど真ん中。しかも、連休中の昼間で、いちばん人が多い時間帯。去年コロナが感染症の5類になって以降、観光客が戻ってきたとは聞いていたが、交差点で信号待ちをするひとや商店街の狭い通りからはみ出そうなくらいで、驚くほどに人が多い。外国人観光客の姿が多いのは京都ならではだろう。イスラエルの旗に反応を示し、写真を撮る人、手を振ってくれる人もいる。デモには参加しないけど、通りから旗を振って応援してくれる人もいる。
「ボイコットイスラエル」のコールの声を上げながら、私はあることに気づいてしまった。イスラエル製の靴をはいていたのだ。その靴は学生のときからずっとほしかったもので、数年前にやっと手に入れたものだった。履きやすく、形もシンプルでどんな服にも合わせやすくてお気に入りの一足となっていた。もう自分の体の一部のようになじみ、あまりにも当たり前のように使っていたので、うっかりしていた。
イスラエルのパレスチナへの攻撃が始まってから、いろいろなボイコット運動を目にするようになった。そこでボイコット対象によく挙げられていたファーストフードチェーンは極力使わないよう気をつけていたのだが、この靴は特に言及されることもなく、自分でも失念していた。
それにしてもだ。
よりによってこんな場所に履いてくるなんて。自分の能天気さにあきれてしまった。
これまで自分は、何か権力に訴えたいというときに、ボイコットやデモは有効だけど、万人に対してそうではないと思い、どこか冷めた目線を持っていた。デモの多くは都会で行われていて、そこに参加できるのは健康でお金や時間に余裕のある人だけではないか。ボイコットできるのはほかに選べる余裕があるからではないか。お金がなかったり、地方で店が少ないところに住んでいる人にとっては選べる余裕がない。といったことを思って、どこか冷笑的な気持ちを抱くことがあった。
しかし、参加しながら、自分はじゃあどの立場なんだと突きつけられているような気がした。そういった批判をする側に立って使い続ける自分は、選択肢がない側なのかといったらそうじゃない。現に、私はデモに来ているのだから。
そして、足元の靴のことを思った。その靴は好きで履きやすくて、何年も欲しくて手に入れたけど、じゃあ、この靴をなんのためらいもなく履き続けることができるのか。いやそうではないだろう。
うちに帰って、デモで朗読されていた岡真理の文章をもう一度読んだ。
・・・
「人間性の喪失」こそ、人間にとって真の敗北にほかならないとすれば、イスラエルはたとえハマースに軍事的な勝利を収めたとしても、人間の歴史にすでに、その敗北を深く刻んでいる。
やがて世界はこの出来事を、「パレスチナ人のホロコースト」の名で記憶するだろう。そして語るだろう。ガザの、パレスチナ人の、無数の物語を。人間であろうとするがゆえに、人間を非人間化する究極の暴力に見舞われて、それでもなお人間であることを手放すまいと抵抗を続けた、それぞれに名をもち、顔をもち、声をもった一人ひとりの人間の物語を。人間、それでもなお。ガザは甦る。
・・・
もうずっと、子どもの頃から、平和は大事だ、戦争はよくないという言葉を百回以上聞かされている。その言葉を信じたいけど、今まで何度も無効にされてくるのを見てきた。
そのたびにがっかりし、もう信じても、唱えても意味がないという諦める気持ちになっていた。だんだん無関心になり、何も感じない方が楽でいいじゃないかという気持ちになりかけていた。コロナに物価高に災害に、いつ自分の生活が変わるかわからない。いちいち反対していたらきりがない。凡夫の自分は今の小さい世界を守るので精いっぱい。そういう大きなことは頭のいい人やお金持ちに任せておこう。
そんな自分の世界に閉じこもっていたときに起こったのがイスラエルのパレスチナ攻撃だった。岡真理の言葉は、小さい殻に閉じこもっている場合ではないと目を覚まさせるインパクトのあるものだった。
どうしてこの人は絶望の中でこんなに人間の力を信じることができるのだろう。岡真理の言葉を聞くたびにそう思った。以前はそういうふうに思えるのは、ものすごく賢かったり、行動力があったり、人を惹きつけるようなカリスマ性がある特別な人だけだと思っていた。でも多分違うんだろう。
最後まで人間や世界に対して希望や期待を失わないでいられるのは、才能とか知識のおかげというよりも、半ば知ってしまった義務のようなところから来ているのだろう。自分が諦めてしまえば、伝える人がいなくなる。だから伝えなければと。
私はそれまで連帯するということがどういうことなのかよくわかっていなかった。デモに行ったり、署名をしたり、募金をしたりそういうことなんだと思っていた。でも、たぶんそれは表面的なものに過ぎない。このような絶望的な状況のなかで、それでも希望を失わないこと、それでもそちらの側に立つと意志を示すこと。自分の立場をほかの人に示し、ここにも希望を失わない人間がいると、あなたたちの側に立つ人間がいると知らせること。それが、連帯するということなのかもしれない。
岡真理の言葉を聞きながら、世界にはあまりにもひどいことが多く、諦めた方が楽だと思っていたけれど、自分にはまだほんとうは人間の善性、ヒューマニズムといったものに期待を抱いており、人間と、世界を信じたい気持ちがあるのだと気づいた。では、私ができる連帯とはなんなのだろうか。
もう一度靴のことを考えた。
これから買ったときのような浮き立つ気持ちではこの靴を履けないだろう。この靴を見ると、テレビの映像でしか見たことがないけれど、破壊されたガザの町や、岡真理の文章のことを思いだすだろう。今日歩いた京都の路上のことを思い出すだろう。デモの隊列には加わらなかったけど、そこに連帯しようとしていた歩道の人のことを思い出すだろう。
もう何のためらいもなくこの靴を履くことはできない。イスラエルがガザの攻撃をやめるまでこの靴を履くのをやめようと決めた。
このボイコットは、ファーストフードチェーンに対するボイコットにくらべると、まるで影響力がない。ネットで調べてみたが、その靴をボイコットしようという運動は起こっていなかった。でも、何かやらずにはいられない。この行いは何か願いを立てるときにやる「○○断ち」のような、自己満足に近い行動かもしれない。
それでも、行動したり、社会に何かを訴えたりすることにハードルがある自分が、それでもパレスチナのことを考えたいとか、連帯を示したいという気持ちを持ったことを忘れたくなかった。自分なりの小さなボイコットで連帯したい意志を示したかった。
もう一度、その靴をなんのためらいもなく履ける日が一日も早く来てほしい。
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