それでも作家って言うなら
昨日このイベントに行った。
「『移民の子どもの隣に座る』出版記念 新聞記者たちのジャーナリズム〜これからのノンフィクション本の作り方〜」
https://momobooks.jp/RmX8KLhJ/eJ7mvuIe
朝日新聞の記者の玉置太郎さんが大阪の移民の子どもが通う学習支援教室「Minami子ども教室」にボランティアとして携わった経験や、イギリス留学の際に関わった難民支援のボランティア活動をまとめたものだ。
10年にわたる取材の成果によるものだが、専門的な内容を非常にコンパクトに、わかりやすくかつ丁寧にまとめられている。
対談は日本語支援そのものというよりかは、「書くこと」「取材すること」に焦点を当てたもので、対談相手は元神戸新聞で現ノンフィクションライターの松本創さんだった。
ジャーナリスト同士ということもあって、取材手法の話や書く私とどう向き合うかという話も多く出た。特に印象的だったのは、第三章の「教室を形づくる大人たち」の「九.取材者という媒介」という節だ。このMinami子ども教室ではよく取材を受けており、ほかの取材者や自分が取材される経験までも書かれていた。おそらく著者自身への反省も含めて、一時的に通過していくだけの取材者という立場の葛藤が描かれていた。そこまではほかのノンフィクションでもよく書かれるような葛藤なのだが、その取材者も含めて、教室を構成する要素だと書いているところが興味深かった。
私は、最初日本語教師の資格を取ったときは、これを何かのネタに生かせたらいいなと思っていた。でも、日本語教師になってからなんか取材してネタにするのは違うなと思うようになった。私は雇われていて、学生と先生という立場で接しているということもあるけど、それだけじゃない。
最初は取材者の葛藤というものかと思ったけど、どうもそれとも違う。
多分それは日本語教師としての倫理的な気持ちなんじゃないかと思った。教室内のことを先生が日本語で何か書いてると思ったら学生は自由に発言できないし、学生の学びを阻害することになるんじゃないかと思ったのだ。だから私は書きたくないんだと思った。
もちろん、玉置さんは子どもとの信頼関係の上で書いているし、それを否定したり、批判しているわけじゃない。また、日本語教師の研究では、教室内での学習者の活動を研究して論文にするようなものもあるが、それを否定したり、批判しているわけではない。
ただ、私はなんか自分がお金を稼ぐ手段として授業中のことを書くのは違うという思いがあった。私は書く人よりも教える人を選んだんだなということに気づいた。
私は若い時は書くことでお金が欲しくて、新聞社に入りたかった。けど、就活のために新聞社のシステムやジャーナリズムについて調べるうちに、男だらけの業界構造とか、夜討ち朝駆けと言われるハードな仕事、人の腹を探りながら情報を取るといったことが自分にはできないと思うようになった。そんなものだから、やっぱり試験を受けてもほとんどがエントリーシートを通過しなくて、運よく通過しても筆記で落ちた。それから3社くらい出版関係の会社に勤めたあとフリーになったけど、私は人に言われたことは上手にこなせるけど、自分のやりたいことをうまく売れるように加工して人に見てもらうのはあまりうまくないし、それだけで食べられるほど早くたくさんも作れないと気づいた。コロナをきっかけに日本語教師の仕事をメインにすることにした。
ときどき書いて稼ぎたいとか書いて稼げたらと思うことがある。特に、こういうトークイベントに行くと、なんかもうわ~ってなる。
じゃあまたライターとか編集でがんばればと思う。だけど、傷つくことにも疲れた。人と比較したり、あいつなんかと思ったり、挫折感や劣等感を抱いたり、わたしもできるのに~とかそういうのに疲れた。
わたしだってあっち側だったのにとか、わたしだって書いてるのにとか、わたしだったらこう書くのにとか、わたしはこういうことを考えてるとかいろいろ言いたくなる一方で、私は日本語教師を選んだんだとも思う。
今日本語教師は人手不足だ。割と仕事はある。性格的にも向いていると思う。ライターや編集者をしていたときに欠点だと思っていた自分の性格の真面目さとか、人の言うことを聞いてちゃんとその通りにするとかが生かせる。勉強を重視する業界なので、「勉強だけできてもね」と嫌味を言われることもない。人間関係の器用さよりも、学生の言うことを理解して、ダメなときはダメと言って、できたら褒めて、そういうちゃんと接することの方が大事だ。性格的にも合ってると思う。
それでもただ書きたいという欲求だけがある。
よく書いてる間だけが作家だと言う。そんなのきれいごとだと思っていた。けど、ライターでも編集者でもなくなって書くことでほとんどお金をもらうことがなくなった私が、書く人つまり作家であるって証明するなら、書くことしか方法がない気もする。
それが本になろうがなるまいが、売れようが売れまいが、メディアに載ろうが載るまいがお金をもらえようがもらえまいが、書くしか作家って言えない気がする。