空手セラピー
空手とセラピーというのは対極に思えるかもしれない。
しかし、私が性加害やDVを受けたことから回復できたことの一部に、空手の効果があったという気がしているのでそれについて書いてみたい。
私は2年半前に実戦空手の道場に入門した。
当時半年ぐらい夫にぐちっていたことがあるのだが、ある日夫が「僕もうその話聞かない、あの空手道場に行ってきなよ」と言われて、売り言葉に買い言葉でその日に体験に申し込んだ。その空手道場はうちの近くにあって、よく通りがかっていたので、場所はよく知っていた。
体験では言われた通りに型をやって、ミットの練習をした。適度に体を動かす感じと、それまで自分が持っていた荒くれ者が多いという空手道場のイメージに反して、親切で感じのいい人が多かった。私は以前ここでも書いた通り、昔からうっすら少年漫画の主人公に憧れがあったこともあり、入門することにした。
ある日組手の稽古で、相手になった有段者の人が「さあ」とお腹を差し出してきた。
私はそれまで空手には、型が中心で組手の時も相手に直接当てずに寸止めでやる空手と、本当に相手を殴ったり蹴ったりする実戦空手があるのを知らなかった。
そのときに初めて、自分が入門した道場が実際に戦う方の流派の空手道場だということを知った。
初めて人を殴ったとき、自分の手が痛くて驚いた。特に有段者の人は鍛えていて筋肉がついている。だから、攻撃した方が痛くなったのだ。
人を実際に殴るまで、そんなことも知らなかった。
話を戻すと、私の受けたDVの詳細は著書の『愛と家事』に書いてあるので知りたい人はそちらを見てほしいのだが、DVを受けた理由は男のプライドを傷つけたからじゃないかと思う。
おめでたいことに、私は自分がDVされるまで、親は共働きだったし父も婿養子で偉そうじゃなかったし、女子大に行って専門職についたから、人生で男を立てないといけない機会が少なかった。
それまで会社で男の偉い人に無視されたり、自分だけ意地悪されたりすることがあったが、その理由がやっと分かった。私は男を立てていなかったのだ。世の中には自分が知らなかっただけで、男を立てないといけない場面に溢れていたのだ。
それ以後、男のプライドは傷つけてはいけないと学んで、無意識にうっすらそうふるまうようになっていたが、やっぱり心の底ではばからしいと思っていた。
空手道場では、そういうことを考えずに思い切り練習できたので面白かった。
もちろん体格差や筋力差、帯の色を考慮しながら稽古するので、相手はだいぶ調節してくれていた。白帯の間は、反撃せず打たせてくれる男の人が多かった。でもそもそも、筋力差と体格差と修行年数の差で、圧倒的に相手の方が強くて、私はいつもそれに負けまいと必死で、男のプライドなんか考える暇なんてなかった。それが楽しかった。
男を立てる、とは要は男の世界観で生きるということだ。世の中では、正論でも男のプライドを傷つけるから言ってはいけないことがある。それは、世の中で男の世界観が優先されているからだ。だからそんなことを考えなくていい空手が楽しかったんだろう。
実際に身に危険が及んだ際の技術的なことを学べたのもよかった。
型では金的の練習もした。金的は実際の試合では禁止されているが、練習はする。足の指で相手の睾丸をひっかけるように蹴るのだ。
そういえば、子どもの頃はけんかで嫌いな男の子や弟の睾丸を蹴っていた。睾丸を蹴ると、男の子はものすごく痛がっていた。金的の練習のときはいつもそれを思い出して痛快な気分になった。指で目をはじく目打ちの練習もやった。いざとなれば金的と目打ちでなんとかなるというのは、心の支えになった。
また、相手に腕や手をつかまれたときに、そこから抜け出して反撃する技の稽古もやった。私はスムーズにできなかったけど、腕や手をつかまれたら引っ張るのではなくて、腕を回すと取れると教わった。もし、街頭の見知らぬ人や強盗に腕や手をつかまれても、回せば取れると思うと怖さが減った。
空手を始めて1年を過ぎた頃、だんだん服がきつくなってきた。最初は太ったのかと思っていたが、知らぬ間に筋肉がついていた。2年を過ぎる頃には、始めた頃の体格は見る影もなくて、アスリートみたいな体形になっていた。
そして初めて試合に出た。
試合はもちろん同性が相手で、帯の色と体重で組み合わせが決まる。試合では負けてしまったけど、いざとなれば自分はこれだけの力が出るだと実感した。
あるとき夢を見た。
今ではだいぶ減ったが、まれに性加害事件のニュースや創作物を見たときに、フラッシュバックまでいかないけど、DVや性加害されたことを思い出してむかついたり、イライラしたりすることがある。そして、ときどきストレスがたまったときその象徴かのように加害者が夢に出てくることがあった。
その夢の中で、私は加害者をボコボコにしていた。
起きてから実際にはやらないけどやろうと思ったらできるのだと思うと、妙に冷めた気持ちになった。
自分がされた加害に対して、私は明確に加害者に非があると思っているが、過去に加害者にされたことを問い詰めたり謝罪を求めたりした際、当人はなかったことにしようとしていた。なんなら加害者は加害の意識もなく、自分が被害者だと思っている。それは世の中に男の世界観がまかり通っているからだ。
これまで、男の世界観から抜けるための方法としてフェミニズムやシスターフッドなんかがあり、自分もそれに随分と助けられた。しかし、世の中は男の世界観が主流なので、いくら女がフェミニズムやシスターフッドで連帯しても、肝心の反省してほしい対象には通じない。
社会的制裁をと言っても、裁判や告発をしたって、加害者はちゃんと謝罪や補償をしないし、実刑を受けたりもしないでうやむやにされ、被害者が誹謗中傷にさらされることが多いので、仮に告発したとしても私が望む結果は得られないだろう。暴力に対して理屈で対抗しても、法も政治もあてにならない。
でも、空手をやって実力行使すれば勝てるだけの力をつけたことで、私は結構過去の加害者のことが割とどうでもよくなってきた。
空手で強い人は弱い人に合わせて稽古してくれる。いくら女性でも子どもでも白帯でも蹴られたり殴られたら痛い。有段者は本気を出せばそういった相手にいくらでも勝てるのに、自分より弱い人には体を貸して相手を強くする。弱い人に強く出たり痛めつけるのは空手の考え方に反するので、いくら法と政治があてにならないからといって、私はわざわざ加害者を襲撃したり復讐のために暴力を使ったりしない。
間違っているのは加害者である。そして、私には加害者を力で痛めつけることができる。それは揺るがない事実だ。でも、拳士だからわざわざ弱い人を相手にしない。私が選んで、そう決めている。だから、泣き寝入りではない。私は空手で相手より強くなったけど、それでも復讐もせずに生きている。とても立派だと思う。その事実が私の心を安定させている。
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